財布とフットワークが軽くなった高校教師 ままよ

私学高校で専任教諭から非常勤講師へ。Quality of Lifeで言えば、非常勤さいこう。教員の、特に私学所属の教員の働き方について考えるブログ。

私学教員の結婚について

私学教員の結婚と、その後の働き方について

 

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結婚できるか

男性の場合

専任の男性教員はほぼ100%結婚していた。だって、需要があるから。

 

収入はとても良く、転勤はなく、教員なので真面目な人が多い。婚活市場ではモッテモテでしょうね。私だってねえ、そんな相手を求めていますよ!ι(`ロ´)ノムキー

 

とにかく男性教員はモテモテでした。専任になりさえすれば。

今のご時世で結婚してる人がほぼ100%って、すごいと思う。就職難易度はそんなに高くないのに、とてもオトクだと思う。(結婚したい男性にとってはね)

 

女性の場合 

それに対して、女性教員というと、寂しい状況。専任になった人のうち、結婚する割合は半分くらい。

それに、結婚したら、もしくは子供が生まれたら辞めてしまう人が多かった。日曜も休めないからね。なので、学校に残っているのはほぼ独身のみ。

 

結婚・出産後の女性の勤務

出産後も残って働いてらっしゃった女性の先輩は私の希望の星だったけれど、話を聞けば、ご実家に育児を託している状態だった。もしくは、気持ちの強い人(私は育児中だから無理です、とはっきり断ることのできる人)。

 

時短について

 

一応時短勤務の制度はあったけれど、担任を持てば、制度は無いも同然。

だって担任クラスの生徒が問題を起こしたのに、「時短なんで~」と帰るのは、難しい。終業時間は、定時だと17時で、時短だと16時頃。だから1時間分くらいのお給料がカットされている。でも、時短以外の教員が定時で帰れるわけもなく、だいたい20時くらいまでは仕事をしている。その中で、お給料は1時間分カットされているだけなのに、皆より4時間早く帰るのって、やりにくい。

時短の人が出ると、時短の人の4時間分の負担が、周りにかかるということ。余裕のある職場ではないから、周りの立場としても、時短が出ると辛い。

 

部活も運動部から外れる等の考慮をされていたけれど、外れた分は独身の教員にまわってくる。独身だって、日曜は休みたいのにね。

そういう環境だから、小さなお子さんがいると肩身がせまく、結婚したら辞めてしまう人が多かった。

 

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それで私も、結婚したら専任は辞めようと決めていた。まあ、結婚もなくなったんだけれどネッ( 'ㅂ')

私立高校の労働環境と年収について

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私立高校の労働環境・給料

 

働いていた学校の学力と待遇について


「みんなの高校情報」の偏差値で60~70あたりのところで働いていた。
生徒はとても素直でかわいらしく、その点では恵まれていた。また、給料も高かった。40なかばで1000万、定年のあたりでは1200万くらいという噂だった。

労働時間は月300時間オーバー

労働環境は、私には辛かった。他の仕事を知らないから比較はできないけれど。
役職に就いていたときは特に毎日、死にたいと思っていた。疲れすぎて、何も考えられなかった。給料減らしてくれていいから、仕事も減らしてほしいと思っていた。

役職についていなかったときは、こんな感じ。月~土は授業。授業のあとに部活や分掌や担任業務をして、だいたい20時になる。それから気力が残っていれば予習。日曜日は部活の練習試合や公式戦が入って、夕方まで拘束。だから、平日と土曜は平均すると8時半~20時半頃まで仕事で、日曜は月に2回くらいお休み。週に1回13時半頃に帰れる日があって、その休みは死守。だから月の労働時間は、月-土の12時間×31日×6/7+日曜の8時間×2日ー7時間×31日÷7日=304時間程度。

役職についていたときは、平日の退勤時間が22時頃だったので、304+1.5時間×31日×6/7=344時間程度。

週の労働時間40時間だとしたら、月の法定労働時間は40×31÷7=177時間。役職に就いていないときでも127時間オーバーだし、役職についていたときは167時間オーバー。
残業代は一切出ない。(お給料自体が高かったので、残業代くれという気持ちはあまり沸かなかったけれど)

生徒と関わることが好きだったはずなのに、生徒が質問に来たときに「ああ、また帰りが遅くなる・・・」と、また生徒が雑談をしてきたときに「つまらない話。それがどうした。」と思うようになった。
今までの自分では考えられないくらい、生徒に無関心になっていたし、自分の仕事を増やす人のことが憎くてたまらなかった。

 

 

精神崩壊しそうだった

元気なときは、マンションに帰ったら叫んだりしてた。「もういやーーー!」と。

元気じゃないときは、自分が泥のようなものになったように力が入らず、「気付いたら死んでたらいいのに」と考え、でも積極的に死ぬための行動を起こす元気もわかず、「はあ、疲れた・・・」とつぶやく。

高3生が大学の合格を報告に来てくれるとき、教師としてものすごく嬉しいときのはずなのに、「合格したのはわかったから、もう帰って~・・・。あなたがここにいる時間分、帰るの遅くなる・・・。」なんて思ってしまったり。
でも生徒は、無邪気に話し続けるのね。自分がどんな苦労をして、どう工夫したかとか、どういうときに辛かったかとか、ご家族がどんな様子だったかとか。
そういう話を聞くのも仕事のうちと自分に言い聞かせて、ニコニコと話を聞くようにしたけれど、一人来る度に1時間はかかる。来なくていいのに・・・と思ってしまったことがある。
そして、そう思った自分にうんざりする。うんざりしつつも、仕方ないよなと思ったりする。

 

退職してみて気づいた、時間がある幸せ

退職してしばらく経ったある日、壁の照明のスイッチが汚れていることに気付いて、メラミンスポンジでこすったのね。そうしたら、汚れがみるみる取れていって、見違えるようにきれいになった。
それを見てとても嬉しかったのと同時に、涙が出た。生きるためにご飯を食べたり、不潔にならないように着替えたりお風呂に入ったりはしていたけど、気持ちよく過ごすために部屋に手を加えたのって、何年ぶりだろうかと思って。その必要最低限じゃないことをするのが、こんなにも幸せで、生きている実感に満ちたものだなんて。

私の退職は、長い目で見ると失敗だったんだろうけど、照明スイッチを磨いているとき、久しぶりに自分の体に血がめぐっていくような感覚になった。ああ、生きてる・・・と。

もう一度あの戦場に戻ることができるのか、そして戻ったとき、心身共に健全でいられるか、今必死に考えているところ。

社畜をやめて、婚約もやめて、フットワークと財布が軽くなった話

社畜をやめて、婚約もやめて、フットワークと財布が軽くなった話

 

タイトルに書いたのが、今の私の状態なのです。

これでもずっと、生まれてからずっと、頑張ってきたのだけど。

独身・低収入のアルバイターになっちゃった。

最初の記事、自分語りしちゃお。 

 

 

生い立ち

サラリーマン家庭に生まれ、両親・祖父母にたいへんかわいがってもらって育った。

幼稚園児のときは泥団子研究家として、小学生のときは田んぼのおたまじゃくし救出隊として、精力的に活動した。

「大人になるにあたって、絵が下手なのと、運動神経が悪いのと、足が太いのを克服しよう。」なんて意識高いことを考えていた。(この3点については、今なお進化の途中)

 

絵を克服しようとして入った小学校での漫画部が思いのほかディープだったり、運動神経の悪さを克服しようと所属した中高の運動部で後輩にも抜かされて肩身が少し狭かったり、大学で同性の友達を求めて入ったインカレのテニスサークルで浮いちゃったり、色々あったけれど、勉強だけはずっと頑張ってきたつもり。

私の唯一の特技だったからね。

 

婚約に至るまで

3年半つきあった、思い出たくさんの、年下のかわいい彼にふられた。

もうこんな思いはしたくない。サクッと結婚して、こういう惚れた腫れたの騒ぎから卒業したい。

仕事が忙しかったおかげで、あまり落ち込む暇もなく、無理やり勝ち取った休日に「ほれ、いくぞー!」と繰り出した初めてのお見合いで、ピンとくる人と出会って、めでたく婚約したのです。

 

お給料はとても良いものの月の休日が2日というブラックな職場にも疲れていた私は、婚約相手と相談し退職することにして、新居も決めて、あとはお引越しをするのみ…というところまで漕ぎつけたのでした。退職直前には、職場の先輩・同期・後輩や友人から、温かい祝福をいただいて、幸せと有難みをかみしめていました。

 

婚約破棄してみて

でも、だめだった。

思うところがあって、婚約解消に至ったわけです。家族には本当に迷惑をかけてしまった。相手に原因があるとはいえ、相手のご両親にも申し訳ない気持ち。喜ばせておいて悲しませちゃって、本当に悪かった。また、友人にも心配をかけた。

結論を出すまで、それから話合いを終えるまでは、鉛を飲んだような、ズーンとした日々でした。これは本当に、やっちゃった。

私自身も辛かったし、親に本当に申し訳なかった。 

まとめと今後の抱負、それから自分の傷をなめてみる

というわけで、私はタイトルのような状態になっているのです。

でもね、そのおかげで時間ができて、やってみたかったブログというものを始めることができたのだ。

お金も仕事も結婚も逃しちゃったが、その代わり、時間ならある。月休2日の世界から抜け出すことができたのだ。

 

私よ、どうか落ち込むなかれ。

ずっと頑張ってきたのだから、周りには助けてくれる人がたくさんいるのだから、そして私には喜ばせたい人がたくさんいるのだから、ここで折れるんじゃないぞ!

 

このブログは、誰かの役に立つものにしたいと思う。

その相手が教員を志す若者なのか、過労でフラフラになっている人なのか、婚活がうまくいかずにクサクサしている人なのかは、まだ決まっていないけれど。

 

私のこれからは、新しいことばかり。

色々と挑戦して痛い目を見てきているけれど、今後も懲りずに飛び込んでいきたい。

心配事は尽きないけれど・・・ええーい、ままよ!!